これまでの歴史

こんにちは。建築屋kateiの朝倉匡志です。
創業者である祖父(朝倉邦人)が祖母と二人、地域を守る大工として仕事を始めたのが昭和34年。
当時はもちろん手刻みで木材を加工していました。
自宅の横の作業場には墨付けされた木材が大量に積まれており、そんな光景が今も鮮明に蘇ります。
その後、現代表で私の父(朝倉基充)が自宅の隣にある作業場の一部を改装して事務所を構え、建設業の許可を経て朝倉建築有限会社を設立したのが平成4年。
父は5人兄弟の長男。弟である現役大工の朝倉孝晴と共に地元の人達の家を建ててきた先代の仕事を引継ぎ、地元に根付く建築屋として地域の力になれるよう、邁進して参りました。

大黒柱のある家づくりからの始まり

先代の建ててきた家の特徴は構造材の太さと大黒柱をたてること。
4寸(約12㎝)の管柱、5寸(約15㎝)の通し柱に1尺(約30㎝)の大黒柱のある入母屋造りを数多く手掛けてきました。なかでもこだわっていたのが大黒柱。
構造体としての大黒柱を考えるだけでなく、家族にとっての大黒柱の意味合いを重ね合わせ、一家の大黒柱を中心に家族がまとまり、幸せに仲良く穏やかに暮らして欲しいという思いを込めて一軒一軒丁寧に家づくりをしてまいりました。
家は家族を守り、家族を育てる場。頑丈で次の世代へ住み継ぐことができる家づくりに一生懸命取り組んでいました。
そんな祖父や父、叔父の背中を見て育った私にも次世代へつなぐ住まいの在り方、家を通して家族の幸せを実現したいという、大黒柱のように太くて頑丈な信念が根付いています。

社会へ出て感じたこと

高校を卒業後、大学は建築学科へ進み構造設計を専行しました。
大学を卒業後、住宅から社寺仏閣までを行う岐阜県の総合建設業の会社へ入社。
得意先の設計事務所から逆指名される程の手腕の上司指導の元、主に注文住宅の現場管理を担当し、住宅建築の基礎を学びました。
また住宅建築だけでは無く道路舗装工事から体育館の耐震補強工事まで様々な事を経験しました。
約4年間勤めましたが、残念ながらその会社が元々抱えていた負債により経営が行き詰まり倒産。
同時に建築業界の厳しさも学ぶ事になりました。
それから将来の住宅業界の流れを知りたいという考えと、時間の経過した住宅に興味があり、より沢山の事を経験できそうな大手ハウスメーカーのリフォーム会社へ入社。
主に設計管理業務を担当し、そこでは築100年を超えるような旧家からマンション、鉄骨、RCリフォーム、様々な時間の経過した住宅に触れる事が出来ました。
そこで感じたのはリノベーション工事を依頼する人の想い。
家を大切にし、様々な想いが交差する中で住み継ぐ事の大切さや大変さ。
リノベーションの無限の可能性をこのタイミングで学べた事は大きな財産だと思っています。
勤めている中で、より自分の手で、住まい手の家づくりに邁進したい気持ちが強まり、独学で意匠設計も勉強。
日々勉強の毎日でしたが、ハウスメーカーで務めた事で常に最新の情報や営業知識も学ぶ事ができた事も私の大きな経験になっております。

決意と【建築屋katei 】に込めた想い

先の将来の話になりますが、現代表の父から会社を引き継ぐ事を決意しました。
地域の人たちのやさしく豊かなくらしをこれからも守っていきたい。
父が繋いできたバトンを次世代へ伝える為に、建築屋としての使命と責任、そして何より創業当時から大切にしてきた家に住む”家族の幸せ”を守ること。そしてこれからもそんな家づくりを手掛けること。
時代はこの数十年で変化し、昔は当たり前にあった大黒柱も住まい手に受け入れられる事はほぼ無くなってしまいました。
しかし、これまでの歴史の過程(カテイ)があって今がある、様々な”家庭(カテイ)の幸せ”を実現する事は、私が子供のころから見てきた先代の教えでもあります。
”過程と家庭の幸せを大切にしたい”そんな想いを込めて『建築屋katei』という屋号を掲げました。
住宅業界も地球環境問題や、電気料金の高騰、温暖化による異常気象。
日々目まぐるしく変化する業界で生き残り、私たちを頼りにして頂いているお客様のために存続すること。
そのために無理せず、コツコツと楽しみながら日々精進する事を忘れずに取り組んでいきたいと想います。

取締役 朝倉匡志

建築屋katei
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