家づくりには、図面や数字だけでは語れない「想い」があります。
どんな人が、どんな気持ちで家を建ててきたのか。
その積み重ねが、工務店の姿勢となり、住まいのかたちとなって表れていきます。
建築屋kateiは、昭和34年に一人の大工が地域の家を守ることから始まりました。
今回は、私たちの原点である創業当時の家づくり、そして「建築屋katei」という名前に込めた想いについて、少し長くなりますが、お話ししたいと思います。
創業者・朝倉邦人(故)が、地域を守る大工として仕事を始めたのは昭和34年のことでした。
当時はもちろん、木材はすべて手刻み。作業場には墨付けされた木材が大量に積み上げられ、一本一本と向き合いながら家づくりが行われていました。

平成4年には、前代表・朝倉基充が自宅隣の作業場の一部を改装して事務所を構え、建設業の許可を取得。朝倉建築有限会社を設立しました。
それ以来、地元に根付く工務店として、地域の暮らしに寄り添いながら、日々家づくりに向き合い続けています。
大黒柱のある家づくりからの始まり
先代が手がけてきた家づくりの大きな特徴は、構造材の太さと、大黒柱を用いた頑丈な住まいでした。
4寸(約12cm)の管柱、5寸(約15cm)の通し柱、そして1尺(約30cm)の大黒柱を据えた入母屋造りの住まいを、数多く手がけてきました。
なかでも、特に強い想いを込めていたのが大黒柱です。
大黒柱は、ただ家を支える構造材ではありません。
「家族にとっての大黒柱」という言葉があるように、一家の中心となり、家族をまとめ、支える存在でもあります。

構造体としての役割と、家族の象徴としての意味合いを重ね合わせながら、
「この柱を中心に、家族が集まり、幸せに、仲良く、穏やかに暮らしてほしい」
そんな願いを込めて、一軒一軒、丁寧に家づくりを行ってきました。
家は、住む人を守る場所です。
安心して、そして長く住み続けられること。
そのために何ができるのかを常に考え、真剣に向き合ってきました。
現在では、30cmもの大黒柱を採用することは少なくなりました。
しかし、「家は人を守るものである」「家族の暮らしを支える存在である」という先代の考え方は、今も変わることなく受け継がれています。
【建築屋katei】に込めた想い
私たちは建築屋です。
魚屋さん、花屋さん、肉屋さんのように、その道を専門とするプロフェッショナル。
建築に特化したプロ集団としての「建築屋」です。
親しみを込めて呼ばれる「○○屋さん」という言葉には、
地域に根付き、信頼され、長く付き合える存在でありたいという想いが込められています。
私たちもまた、気軽に声をかけてもらえる、街の『建築屋さん』でありたいと考えています。
良質な家づくりは、住まい手との良い関係性から生まれます。
それは、打ち合わせを重ねる工事前だけでなく、工事中、完成後、そして世代を超えて住み継がれていく過程すべてに関わるものです。
私たちは、
【工事前・工事中・完成後・世代交代】
そのすべての【katei=過程】を大切にしたい。
そして、完成した家だけでなく、家づくりの過程そのものも楽しんでいただきたい。
そんな想いを込めて、『建築屋katei』という屋号を掲げています。
家づくりは、一生に何度も経験するものではありません。
だからこそ、不安や迷いがあるのは当然のことだと思います。
建築屋kateiでは、
「まだ何も決まっていない」
「土地から相談したい」
「今の家をどう活かせるか知りたい」
そんな段階からのご相談も大切にしています。
家づくりのことなら、どんなことでも構いません。
ぜひ一度、お気軽にご相談ください。
私たちは、家づくりの“過程”に寄り添う建築屋として、皆さまのお話をお聞きします。